国連とアメリカとの関係は、今後の国際秩序を考える上で落とせない問題である。著者は本書で、国際連盟と国連の歴史を振り返り、アメリカがそれにどう関わってきたかを論じている。著者は、アメリカのなかに、国際協調の伝統とともに、自国例外主義の伝統があることを指摘し、90年代後半から後者が表面化した、と論じている。その上で著者はアメリカに、多国間主義に復帰するよう呼びかけている。
国際法・国際機構論の権威による著作だけに、国際連盟や国連の歴史について学ぶべき点があるが、私には著者の国際法至上主義、空想的主権平等主義、そして感情的なアメリカ批判が気になった。国際法学者として当然だが、著者は国際法の妥当性を自明の前提として、国家はそれを忠実に遵守すべきだ、とする。しかし、国際社会では、大国が気に入らない法を、国際世論の力で押し付けるのは元来無理である。現実的な国際法は大国が納得するものでなければならない。著者にはこうした視点が欠けている。
確かに、近年のアメリカの行動にはあまりに身勝手な面があり、アメリカが多国間主義に復帰するよう米国内外の世論を盛り上げることは重要だろう。しかし、著者が理想とする多国間主義は、国連総会型の一国一票方式であるようだ。しかし中国もブルネイも一票ずつの主権平等主義は空想的である。
著者は、アメリカの多国間主義への反発を、「せいぜい、革命に怒り、うろたえ、拙速に反革命に訴える国王のような姿である」と評し、アメリカは「平等を生きられぬ国」「合法性を生きられぬ国」ではないか、と書いているが、私にはこれは論理を尽くした学問的批判だとは思えない。単独行動主義に関する著者の概念整理は十分ではないが、そのことが著者の批判が漠然として感情的な形をとった理由かもしれない。
読んで損する本ではないが、国際政治の現実を踏まえぬ机上の空論ではないか。
